レンタルあやちゃん始めました

カフェ店員。手相、タロット、筮竹、恋愛相談、イベント企画、作詞作曲、歌、いろいろしてます♡

なかったこと。(ショートショートその11)

 

その日は雨予報じゃなかったのに、バスを降りると突然雨が降ってきた。

私は目的地まで近いし走ろうと思って信号が変わるのを待っていた。

 

横断歩道の向こう側に、可愛い男の子が立っていた。たぶん私と同じくらいか少し年下だろう。どこの大学だろう?

そんなことを考えていると信号が青になった。

すれ違いざまその男の子が私を呼び止め、さしていた傘を差し出してきた。

「あの、良かったらこれ使ってください」

「え?でも、」

「僕はいらないんです」

 

そう言うと走って行ってしまった。

私はなんか悪いなあと思いつつ、約束の時間が迫っていたのでその傘を差して目的地まで急いだ。

 

用事を終えてバス乗り場に戻ると、さっきの男の子が俯いて床に座っていた。

 

「あの、、、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないって言ったら、抱きしめてくれますか?」

私たちは今日が初対面だ、ふつうに考えたらその会話はおかしい。

だけど彼が捨てられた仔犬みたいな顔で私を見るから、

私は「いいよ」と言って彼を抱きしめていた。

 

「帰るところないの?うちにくる?」

彼はそのまま一緒にバスに乗って私の家に来た。

よほどおなかが空いていたのか彼は私の作り置きしてあったカレーをペロリと平らげて、おかわりを2回しておいしい!と言って無邪気に笑った。

 

彼はお風呂から上がると不思議そうに私に聞いた。

「なんにも聞かないの?」

 

私はそれに答えずに、彼のまだ濡れた髪をドライヤーで丁寧に乾かして、それからキスをした。

現実から逃げたくなるときが、人間にはたまにある。

本能だけで求め合う夜が、癒す傷もある。

 

 

次の日、朝目覚めると彼はいなくて、

テーブルの上に「ありがとう」と書いたメモが置いてあった。

 

もう会うこともないだろう。

私は準備して、教育実習先の高校に急いだ。

 

教室に入って、私は目を疑った。

昨日一晩過ごした彼がそこにいるのだ。

同じ大学生かと思っていたのに、まさか高3だったとは。これ周りにバレたらどうしようと内心ヒヤヒヤしていた。

しかし私はあの日のことを誰にも言わなかったし、どうやら彼も誰にも話していないようだった。

 

そうして何事もなく、先生と生徒としての1週間が終わった。

私はほっとすると同時に、なんだか少し寂しい気持ちになった。

あの日のことは、私たちにとってなんでもなくて、当たり前のように「なかったこと」になっている。

きっともう二度と会うこともない。

だけど確かにあの日、私たちは一緒の時間を過ごした。

それは恋ではないし、きっと愛でもない。

言ってしまえばただの気まぐれみたいなものだった。

寒い雨の日だったから、なんだか放っておけなかっただけ。

ただタイミングが良かっただけ。

そこに意味などない。

 

それでも私たちはあの日、あの瞬間、お互いの存在を確かめるように無心に求め合った。

それ以上でも以下でもない、それが事実だ。

そんなこと誰も知らなくていいし、私もそのうち思い出せなくなるだろう。

 

例えば恋の終わりが切ないのも、散々一緒に過ごした時間が突然すべてなにもかも

「なかったこと」になるからだ。

今度あれをしようあそこに行こうって果たされることのない約束も、

好きだよって言葉も、

笑い合ってふざけあった夜も、ぬくもりも、ぜんぶぜんぶなかったこと。

 

 

「なかったこと」にしたくないのは、

彼の傘が私の手元にあって、雨が降るたびにあの日の記憶を曖昧ではなく確かなものにしてしまうからだ。

 

「なかったこと」にしたくないのは、

私は忘れてしまうくせに、私がこの世に存在することを誰かに忘れ去られることが怖いからだ。

 

なんてわがままなんだろう。

なんて欲張りなんだろう。

なんて勝手なんだろう。

 

 

私は雨の中、傘を差さずに歩いた。

 

 

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